2014年12月10日水曜日

価値

個人的な意見です。

物事には価値がある。
それに見合った価値。

価値とは受け手がいてはじめて
正当なものになる気がしていて、
特に表現の場では、
作品や生み出すものは
限りなくエゴに近く、
ある種の排出行為のような
ある種のマスターベーションに近い。

ここで。
いつも思うのは
音楽の価値。

正直な話。
自分の作品に価値があるのか
疑問であり、ゆえに価値がないと
思える。
なぜならば、
限りなくエゴに近いそれらは、
時間的対価に置き換えるのもおこがましく、疑問もあり、また、排出行為に近い気もするからだ。
いや実際はめちゃくちゃ苦労して産み出した、
子供のような彼らに、価値がないと言っては、あまりに悲しいが…

それでもそれに
どのくらいの価値があるのか…

正確には、いつの時代からか、
価値は貨幣に置き換えられ、
その貨幣的計りの枠の中では、
価値を持たせるのが
疑問なのです。

それでも、
誰かのトコに届くのなら
それはめちゃくちゃ嬉しく、
価値が生まれるのではと…
願ってしまいます。

誰かにとって大切なものに
なればそれが一番ですね。


2014年9月28日日曜日

真っ二つ

私事ですが、先日買って1年もたたないうちに、iPhone5sの修理をしまして。
これがまた二回目で。
まぁ、Applecareに入ってたのでね。
どちらも7800ジャパン円払ったんです。careきくのは、2回までだから、次回は自費買取ですよ。
それでですね。
先日3回目。iPhone5sが真っ二つになりまして。
いや。これ夢の中でね。
見事に縦に真っ二つになってたんです。
夢の中でね。
なんかでもリアルで。
なぜか俺ひさびさにスケートしてて、そこはどっかの商店街?かなんかの歩道でね、front180したらギリギリ乗れてね、ほんと電柱ぶつかりそうになりながら乗って、で、あぶねっとか思いながらポケットの中みたら、見事にiPhoneが真っ二つに折れてて。しかも縦に。
いやそれありえないから。とか普通に思って、なんとなく、またそれを戻そうと曲がった方に手でぐいっとね。
したら、まぁなんとなく曲がりは直った感じになったんです。
まぁ、液晶は縦にヒビ入ってたけどね。
なんとなく直ったし、まぁいいかと…
そんなこんなで目が覚めました。

いやぁ…最近6が曲がるとか?
iPhoneというかスマホの存在意義とか?
いろいろ考えたり、みたりしてたせいかね。これは。
まじローンとかなかったら俺ガラケイでいい。
あとなんか、どんどん新しくなってさ、使い捨てみたいな世の中の流れがほんと悲しいです。
壊れたら終わり。
まぁ俺もそんな感じで交換したりしたし、同じなんだけど。

なんかさ人間関係もそうだし、モノもそうなんだけど、もっと大事にしたいなって。
だって壊れてからじゃ、遅いんだよ。っつって。
最終的に、そんな夢をみて、そこにたどり着きました。

ながながとすいません。
まぁそんな感じです。
おやすみなさい。

2014年7月3日木曜日

new band..."moose"


"moose"

新しいバンドはじめました。

インストバンドです。

gt/asahi masuda
ba/takashi nakamura
dr/kosuke mori

よろしくお願いします。

2014年6月27日金曜日

音楽

踊りたくなるような曲
歩きたくなるような曲
走りたくなるような曲
スキップしたくなるような曲
スケートしたくなるような曲
スポーツしたくなるような曲

頭の中に情景が浮かぶ曲
物語のような曲

音楽的側面や、変化球的カッコイイを追求しすぎると、大切な事を見失いがちな気がした。

本当に自分がいいと思う曲達は、それだけじゃない何かが、そうおまけや、選挙権とかくだらない付加価値以外の、目には見えない付加価値が確実にあるのだと。


2014年5月21日水曜日

あるがまま

おのれが何者で
他者とは違う何かを求める

果てしなく続く行為は
ただ穴を埋めるかのように
吐き出しては消化し
吐き出しては消化し…
繰り返す

その中に答えを見出しても
自分自身が
等身大のおのれと向き合ったとき
暗闇に変わる

虚勢をはる事への
絶望

真実を
現実を
受けとめることが出来ず
ただただまた
繰り返す

明日も

明後日も

ふと我に帰れば
闇に支配され
目的すら見えなく
虚しさをあたえる

ただ前に

道があると言い聞かせる

2014年5月12日月曜日

豆尖

ワヲンMCの2人。
豆汁。そして尖閣。

この2人からなる豆尖。
ZIONSOLDIERに所属。

そんな彼等が最近、待望の1stアルバムをリリース。

そもそも豆尖として活動していた彼等と、バンドを組むことになったのは、偶然のスタジオでのセッションからだった。
もともと2人のことは知り合いレベルで知っていた。
豆とは、パーティーでよくあってたし、尖閣とは、the lightとゆうパーティーやロウソクの展示などで友人づたいに、度々顔を合わせていた。

そんな彼等とバンドを組み、その意識の高さや、言葉への重み、姿勢…
いろいろな事に影響を受けた。

本当にこの2人はかっこいい。
いや身内とか抜きにして、本当にかっこいい。

最近のライブを見ていて、それを度々痛感する。
ワヲンをやる喜びでもあり、2人だけの世界の最強さへの悔しさ。

ライブに対するキモチのデカさが、日に日にエモく、感慨深く、そして感動すら、レコ発をおこなう彼等のライブからは感じる。

最近、アーティストのエゴさというか、いろいろと考えていて、いや、そういう事って、もう何年も前から考えてしまっていたんだけど、最近またよく頭を過る。
どう盛り上がってほしいとか、こう受け取ってほしいとか…
もうそういうエゴというか、嫌なんよね。
捉え方も楽しみ方もそれぞれだから。
作品に対するエゴとそれとは、全く別物だから。
自分もステージに立てば、同じように盛り上がって欲しいとかわかるし、盛り上がれば気持ちいいのだけど。

最近はそんなことを、考えてたらライブやショウケース見てもアガラナイことというか、第三者的に見てしまう事があった。

がしかし。
豆尖はどうだろうか…
そんなこと、まったく感じる隙を与えないステージング。
身内だからなのか…?いや多分、まったく知らない人がみても同じように感じるはずだと思う。
何かを伝えるとか、そんなんじゃなく、自分たちの最大の力をステージにぶつける。メッセージ性があるないとかじゃない。むしろメッセージ性はある。
ライブに対して、全力で挑む。それしか出来ない。
だからそれをただ全力で表現する。
それに心を掴まれる。

人らしくそして2人から出る生々しい、正直な等身大の言葉。表現。
それに心を掴まれる。

豆尖をまだ体感したことない人にも.是非現場で体感してほしい。
きっと何かを感じてもらえるはずだと思う。

2014年2月22日土曜日

ふたつでひとつ

手袋なくした。
いつものアウター。
マウンテンパーカーの左ポケットに
そいつらは入ってた。
入ってるはずだと思っていた。

仕事が終わり、無造作にポケットを探ると
そこには、右手の手袋だけがクシャクシャになって出てきた。
左手はいなかった。
落としたかな?と思ってあたりを見渡したけど、見つからなかった。
僕は仕方なく、右手に手袋をはめ、そして帰路についた。
時々、左手の手袋を気にしながら。

彼らはふたつでひとつなんだ。
片方なくしてしまえばぽいされ、また新しいモノに変えられてしまうのだ。
靴下もそうだ。
気づいたら、片方がいなくなり捨てられる。
誰でも経験がきっとあるはずだ。
どんなにお気に入りでも。
それは片方では意味をなさないのだ。
例えば、お気に入りでボロボロになるまで使っても、どちらかがダメになってしまえば意味がないのだ。

帰り道、ふとそんなことを考えた。
そしてなぜかとても悲しい気持ちになった。

家に着く頃。
左手は真っ赤になり、冷たく冷え切っていた。
そしてまた僕はどこかに落としてしまった左手の手袋の事を考えた。
当たり前のように存在するものは、気づいたら消えてしまった。

2014年2月17日月曜日

静寂制約解放

めちゃくちゃいい曲をつくりたい。
魂を揺らすような…

そもそもいい曲とは…
定義はいろいろ。
自然と踊らされる曲。
魂を洗う曲。
想いが伝わる曲。
メッセージがある曲。



個人的には…
景色や情景が浮かぶ、
聴覚を刺激して、
心と魂を揺さぶる。
そして視覚を。
あたかも
見たように…
そんな曲をつくりたい。

景色や情景。
音。

やっぱりそれって想いがのると思うのです。

あの時の場所。
あの時の音楽。
風の音。
街の音。
虫の声。

だからなのか…

わかりませんが。


あと踊らされる曲もつくりたいw

2014年1月9日木曜日

あぶね

失いそうだった
けどれど、大切なことに気づいた。
そして取り戻した。

人と人はこうして絆を強めるんだね。

ひとつのことを共に。